Nさんと出会ったのは、2009年のことでした。 まだ抱樸館福岡が設立される前、私たちは東区のアパートの3部屋を借りて、シェルターを運営していました。当時、美野島めぐみの家の代表からご紹介いただいたのが、Nさんとの出会いのきっかけでした。
他県から福岡へと流れ着いた彼女は、ある事情から「家族にはもう会わない」と決意し、廃車の中で暮らしていました。当時は、彼女と同じように路上で暮らす方々が何人もおられ、寄り添い、助け合って生きていた光景を今も覚えています。
「アパートに入りたい。手伝ってほしい」 その願いに応える形でシェルターへ入所し、3ヶ月後には同じアパートの居室で念願のひとり暮らしを始められました。彼女は心から喜んでくださり、私が訪問するたび「入っていきなさい」と温かく迎え入れてくれました。
しかし、抱樸館福岡が設立され、日々の業務に追われるようになると、次第に彼女と会う機会が減ってしまいました。たまに訪問しても、彼女はいつも寂しそうな顔をされていました。 「家があるだけでは足りない。人には、人が必要なんだ」 彼女の表情を見て、私はそのことを痛感させられました。
年月が経ち、孤独を深めた彼女は、死に場所を求めて別府まで行ってしまいました。「もう、あのアパートには戻りたくない」そんな思いを抱えてのことでした。 警察からの連絡を受け、私は彼女を迎えに行きました。彼女が連絡先として告げたのは、抱樸館福岡でした。警察署で再会した彼女は大粒の涙をぽろぽろと流し、「ごめんね、ごめんね」と何度も繰り返していました。
帰りに駅のコーヒーショップへ寄り、一緒にモーニングを食べました。「こんな高いものを食べていいんかね」と戸惑う彼女に、「今日くらいはいいよ」と答え、帰りの特急列車では彼女の好きな美空ひばりの歌を二人で聴きました。
アパートへは戻れないため、抱樸館福岡を緊急的に利用することになりました。彼女は「こんな場所で過ごしたい。あんたとも、一日に一回くらいは話ができそうやし」と言ってくれましたが、ケースワーカーの意向もあり、最終的には病院への入院が決まりました。
入院生活は1年に及び、彼女は病院のベッドでその生涯を閉じました。面会に行こうと準備していたその前日、彼女は旅立ってしまいました。
寂しがり屋だった彼女を、最後は独りにしてしまいました。
彼女が遺してくれた「家だけではだめだ」という問い。その宿題を、私はこれからも忘れません。天国では、大好きな美空ひばりの歌を聴きながら、穏やかに過ごしてほしいと願っています。